1月終わり、国際諸宗教センター(IIC)が主催したサマーヴィルカレッジでの上記のセミナーに参加した。参加する以前は、原理主義者という言葉は、私にとって、いくつか矛盾する意味をもつ言葉だった。メディアが、‘過激派’と同義にそして、中東の爆破テロリストや中西アメリカにおける聖書至上主義者といった種々多様な好ましくない団体の‘非寛容性’と同義に‘原理主義者’という言葉を使っていることを知っていた。しかし一方で、信仰の‘原理に戻る’という語源的意味に惹き付けられもした。人類と神との関係は、原理主義に入るという、ジョージ・フォックスの見識では、クウェーカーは、原理主義になるのではないかと考えた。

このセミナーは、シーク教、チベット仏教、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、一部のヒンズー教6つの宗教をもつ人々が集い、このテーマについて違った見方を提示した。

ヒンズー教は言語と概念の限界を想起させた。ヒンズー教の発表者が話した「諸数字会議」のたとえは非常に興味深いものだった。

会議に出席していた5つの数字は、礼儀正しいあまり、議論をすることはなかったが、それぞれ、内心自分が他の数字よりも優れていると考えていた。それぞれ、他の数字よりも無限(神)に近いと考えていた。数字1は、生まれつきの一番だと思っていた。数字2は、他の数は、断然奇妙であり、数字2が一番であると感じていた。数字3は、最も神秘的な番号として有名であった。数字0は、他のどの数字もゼロなしでは無限(神)にたどり着けないと確信をもっていた。

このたとえ話は、神を遠ざけようとする警告ではなく、誰が神に近いのかを裁定することは出来ないことを表している。

キリスト教の宗派間の対話を心から切望する、実現には、種々の立場間に巨大で堅牢な壁があるという発表がされた。キリスト教指導者たちが積極的に諸宗教対話を促進していかねばならない、議論をつくすことは知的関心は満たすが、凝り固まった態度を変えるためには役にたたない、本当の意味での対話をもち、ポジティブな体験をすることのみが態度を変えることができる。そして諸宗教間対話は、ときに宗教内対話のための手段となると発表した。

インターネット普及率の増加傾向は、相互理解を促進する重要なポイントと思われる。例えば、いまこの文章をよんでいるあなたのように、ウェブサイトを活用し考えを分かち合っている人々が大勢いる。今後現実の重要な問題に立ち向かわねばならないことを認識しつつ対話会議は終わったが、それらに取り組むための勇気と智慧を会議から頂いた。
IIC Newsletter 11: www.interfaith-center.org