「対話の種々の深さを認める:深くはなくとも価値のある対話もある。多くのユダヤ教とキリスト教との間の対話は、ただお互いに学ぼうとすること、他宗教が何をしているのかを少しでも理解しようとする事、社交的な努力で協力していく事にある。深い神学的議論に必要な技能をもっていない一般の多くのユダヤ教徒やキリスト教徒にとっては、混乱によって自分の信仰を危険にさらさないように気をつけなければならない。しかし、対話の中心は、両宗教の神学者が、深いレベルで人生の意味を考えることや、現実社会を教義上の信条に基盤をおいていかに理解できるかを深く話し合うことにあると考える。」
- ラバイ・ノーマン・ソロモン